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入所者の減少と高齢化で使われなくなった建物が取り壊され、現在は集合式の棟が建てられている。全生園の南門近くにある高架水槽屋上から/2014年4月8日

入所者の減少と高齢化で使われなくなった建物が取り壊され、現在は集合式の棟が建てられている。全生園の南門近くにある高架水槽屋上から/2014年4月8日

会員 八重樫信之

昨年の秋頃から全生園東側(資料館側)にある平屋の住居の取り壊しが始まり、近所に住む人々や園に出入りする支援者のグループに驚きの声が上がりました。

強制収容されたとはいえ、入所者の皆さんにとっては、長年住み慣れた我家には愛着があったと思います。木を植え、盆栽や花を育てた庭が無惨にも掘り返されていました。土台だけが残った風景はまるで東北の被災地のようでした。

取り壊しについて私のフェイスブックにも、下記のような意見が書き込まれています。

同じ場所から撮った全生園の全景。長屋式の平屋の建物が敷地一杯に並んでいる/1997年2月27日

同じ場所から撮った全生園の全景。長屋式の平屋の建物が敷地一杯に並んでいる/1997年2月27日

「少し前まで入所者さんが暮らしていた平屋建ての住居が壊され、更地になっていた。割と元気な方々が住んでいて、庭で盆栽や野菜作りを楽しんでいる方も多かった。人数が減る中で、建て替えや集約化は止むを得ない部分もあるかもしれないが、外には出られない隔離生活の中で、長年にわたって築いてきた暮らしが変わることが、高齢の入所者さんにどんな影響をもたらすのか、そして更地になった跡地はどうなるのか、気になる」。現在は作業が進み、跡地はきれいに整地されましたが、今後全生園がどうなるのか、関係者は心配しています。

2015年秋に全生園東側にある居住棟の取り壊しが行われた。ホームレスが入り込んだり、火事の心配があるからだという

2015年秋に全生園東側にある居住棟の取り壊しが行われた。ホームレスが入り込んだり、火事の心配があるからだという

昨年暮れに開かれた支援グループ、ハンセン病首都圏市民の会の事務局会議に、佐川修・入所者自治会長が出席したので、全生園の現状と今後の見通しなどについて説明していただきました。

「入所者がマンション形式の新しい居住棟へ引っ越しした後、空き家をそのままにしておくと物騒なので、夫婦舎21棟を取り壊した。今後は整地して、市内のNPOや支援団体に手伝ってもらい、四季の花が咲く人権の森記念公園にしたい」「自分たちができることは最後までやるつもりだが、その後の維持管理については、国や都の協力が必要になる」と佐川さんは言っていました。

2016年5月18日。きれいに整地された跡地。風が吹くと土埃が舞い、洗濯物が汚れる

2016年5月18日。きれいに整地された跡地。風が吹くと土埃が舞い、洗濯物が汚れる

朝戸裕・全生園園長は自治会誌『多摩』の新年号で「今後の利用計画は未定ですが、自治会の方々と相談し決めて行ければと考えています」と書いています。東村山市は園内に建てられた石碑の中で、「この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐ」と宣言しています。

将来的には全生園を「人権の森」として残し、療養所、納骨堂、歴史的な建物、資料館を中心に市民が人権について学んだり、憩いの場となればいいのではないかと思います。

全生園の南門近くにある旧少年少女舎。収容された子どもたちが共同生活した建物。廃墟のまま放置されている

全生園の南門近くにある旧少年少女舎。収容された子どもたちが共同生活した建物。廃墟のまま放置されている