ニュースレター No.6 (2008年11月20日発行) (1) (2) (3) (4)
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日々の活動の中で −1−

理事長 森元 美代治

<ご逝去を悼む>

理事の国本衛さんが3月21 日、こつ然とわれわれの前から姿を消してしまわれました。胸の痛みを訴えて3月17 日に入院し、その4日後に胸部大動脈破裂により不帰の人となってしまいました。国本さんらしい最期だったのですが、あまりに突然のことゆえ信じがたいほどでした。
国本さんは、ハンセン病国賠訴訟の原告団事務局長として勝訴に導いた中心人物だったのです。胃の摘出手術、C 型肝炎、
肝硬変、心臓病等、病魔と向き合いながら「闘う人は幸い……」と、自己叱咤しつつ、精力的に働いておられました。
5月10・11 日、東京で開かれた第4回ハンセン病市民学会の実行委員長として、開会式で読み上げる予定の挨拶文ま
でパソコンに入力していたことを知って、国本さんの、市民学会を成功させようとする意気込みと用意周到さに、ただ脱帽するばかりでした。市民学会当日は、全国各地から1400人もの人々が結集しましたが、せめて“男の花道”としてその大舞台に立って、凱旋して欲しかったと思ったのは、私一人ではなかったでしょう。
国本さんは早くから多磨全生園の将来構想について論文を発表し、「国際ハンセン病医療センター」構想を提言してお
りました。国際感覚も並ではなく、IDEA ジャパン設立当初から理事としてご尽力くださいました。
若い頃から詩の同人をつくり、文学青年としても知られていた一方、入所者自治会では、施設整備担当者として勤務し、現在の全生園を形づくった功労者の一人です。『生きて、ふたたび』(毎日新聞社刊)『生きる日、燃ゆる日』(同社刊)などのエッセイも出版されております。ご一読ください。

11 月7日、IDEA ジャパンにとってかけがえのない筑紫哲也さんの訃報を聞いたときも、衝撃を受けました。IDEA ジャパン
を立ち上げるとき、快く推薦人を引き受けてくださったのです。
筑紫さんは記者時代からハンセン病問題に深く係わり、マス・メデイアでは最大の理解者のお一人でした。ハンセン病国賠訴訟に対し、政府が控訴か否かの瀬戸際にあった2001年5月22、23の両日、多数の原告たちをニュース23に出演させ涙ながらの訴えをさせてくださいました。そして政府を控訴断念に追い込み、あの歴史的瞬間を迎えたのです。筑紫さんはわれわれハンセ
ン病当事者の人権を回復させ、生きる希望と勇気と力を与えてくれました。
世界を繋ぐ偉大な国際人を失い、、、誠に残念のきわみです。慎んで心よりご冥福をお祈り申し上げます。
▲全生園祭りのIDEAジャパンのバザーに、京都から同志社女子高の生徒さんが駆けつけた。今年で8年目になる。
中国のハンセン病の村でボランティア活動をするチャオ(橋)の学生さんたちも参加し、賑やかなバザーになった。
/08年11月3日


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