ニュースレター No.6 (2008年11月20日発行) (1) (2) (3) (4)
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韓国訪問 笑顔に迎えられて

事務局長 村上 絢子

▲イ・ヘンシムさん 服装や部屋の様子から生活に
ゆとりが感じられる(08 年10 月)
▲カン・ウソクさん 私たちを笑顔で迎えてくれた(写真右/ 08 年10 月)
写真左は04 年1 月撮影
秋も深まりつつある10 月末、韓国の知人たちを訪ねて、ソロクト療養所とソウルへプライベートな旅行をしてきました。釜山から4時間半バスに乗って、ソロクトの向かいにある港町、鹿洞に到着しました。そこで、通訳のT さんと待ち合わせました。T さんは、大学で韓国の人権問題を研究している日本人女性です。
ちょうど日曜日だったせいか、鹿洞からソロクトへのフェリーは観光客でいっぱいでした。驚いている私にTさんが言うには、ソロクトは若いカップルのデートスポットになっているのだそうです。また風光明媚なソロクトは、家族連れでも楽しめる観光の穴場でもあるようです。
まず、昨年の9月、10 月に相次いで亡くなった金新芽さんご夫妻のお墓参りに行きました。金新芽さんについては、IDEA ジャパンのニュースレター5 号に紹介しましたが、ハンセン病に関わっている、多くの日本人ボランティアに慕われ、精神的な支えになっていた方です。日本の療養所に隔離され、後に韓国へ帰国した人たちにも補償金が支給されるよう、金泰九さん(長島愛生園)と尽力した他、ソロクト裁判では韓国の原告にも平等の補償を求める署名を呼びかけたことを覚えている方もいらっしゃるでしょう。
丘の中腹にある納骨堂に、金新芽さんご夫妻のお骨は納められていました。日本の骨壺とは違って、木箱です。だれの心遣いなのか、箱の表面にご夫妻の写真が貼ってあったので、すぐに見分けがつきました。10 年間、木箱に納めたあと、他の死者と一緒に土まんじゅうのお墓に移して、土に還すのだそうです。
キリスト教と音楽を生活の柱として、養鶏、養豚、農業によって自立して生きてゆくために忠光農園(定着村を設立して、子弟教育に心を注いだ金新芽さんでしたが、心ならずもソロクトで最期を迎え、お骨も故郷に帰れない現実に、胸が痛みました。
ソロクト裁判のとき、日本でお会いした韓国人原告の皆さんは、ソロクトでも話を聞かせてくださり、夫(八重樫信之)の写真撮影に応じてくれたので、今回はポートレートが載っている人たちに写真集『絆』を贈呈したいと持参しました。
ドアを開けると、カン・ウソクさんが満面の笑顔で迎えてくれました。裁判期間中は日本でもソロクトでも、いつも険しい表情を変えなかったカン・ウソクさんは、まるで別人のように終始温和なお顔でした。「補償金が支給されたおかげで、食べたいものが食べられるようになった。ありがたい」というのがカンさんの感想でした。
チャン・ギジンさんは、裁判以降、介護してくれる人がいるので、生活面で助かっていると言っていましたが、さすがにお年を召したように感じました。
両手足不自由なイ・ヘンシムさんは、髪をきれいにカットして、こざっぱりとした服装で迎えてくれました。自費で介護人を雇えるようになり、ご主人と二人、同居人に頼って生活しているそうです。
9 0 歳を超えたお母さんを亡くした金点任さんは、ご主人と二人暮らしになりました。ちょうど近所のオバチャンたちが集まっていて、にぎやかに井戸端会議の最中だったので、ご主人の居場所がありません。補償金を受け取れて、大喜びの様子が伺えました。
その他、訪ねた人たちの服装がこぎれいになり、眼鏡を新調したり、家具やテレビを購入したり、バイクを買えたので町に行かれるようになったとか、家族と行き来できるようになったと、喜んでいる人もいました。
原告と一緒に何度も来日した元自治会長の金明鎬(キム・ミョンホ)さんは、「裁判では弁護士の先生方はじめ、日本人の支援者たちが自費でソロクトまで来て応援してくれたおかげで、日本政府から補償金をもらえました。皆様のご恩は忘れません。感謝しています」とお礼を言われました。
園内では、屋根が葺き換えられ、縁側の床も張り替えられるなど、住居が見違えるほど改善されていました。
ソロクト裁判はもう解決済みだとばかり思い込んでいましたが、まだ約10人は支給されていないし、受け取る前に亡くなった人もいますので、早急に日本政府が支給決定してしてくれることを待ち望んでいます。
ジャーナリストをめざしていたという通訳のT さんが、光州なまりを交えながら、家族のように親しげに話すので、入所者の皆さんにとってはまるで親戚の娘が訪ねてきてくれたようで、心置きない会話が弾みます。私たちはいつかソロクトを訪ねて、写真集を直接手渡したいと願っていたのですが、韓国語が堪能なTさんと出会えたおかげで、皆さんと話ができたし、目的も果たせて、軽やかな気持ちでソロクトを後にしました。
▲ふき替えられた瓦屋根。慈恵病院の古い建物も建て替えられた(08 年10 月)
ソウルでは、ソロクトのイ・ヘンシムさんを主人公にしたドキュメンタリー映画『ドンベク・アガシ(椿娘)』をつくった朴貞淑(パク・ジョンスク)さん、プロデューサー、カメラマン、通訳たちの仲間と一緒に、サムゲタンを食べながら話しました。今年の冬、新宿で『ドンベク・アガシ』の上映会をしたときには、IDEA ジャパンの皆様にもご協力していただきましたが、うれしいことに、この11 月20日から韓国の7都市の一般映画館で上映が決まり、併せて自主上映会もするそうです。どうか成功しますように。
飾り気のない人柄で、物事の本質をつかもうとする朴監督だからこそ、イ・ヘンシムさんが心を開き、一般人が予想もできないような人生を語る気持ちになったのでしょう。『ドンベク・アガシ』には、そんな二人の心の交流が淡々と描かれていました。
私の孫と同年齢の二人のお子さんを育てながら、映画制作に情熱を傾けている朴監督と仲間たちに、日本から応援したいと思っています。
写真・八重樫信之

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