ニュースレター No.15 (2013年02月10日発行) (1) (2) (3) (4) (5)
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全生園のバザーと園内見学で学んだこと ■□■京都の孫たち<同志社女子高校生>の感想文■□■
▲IDEAジャパンのバザーに、同志社女子高生40人が参加した。昨年で13年目になる/12年11月3日、多磨全生園

●奥田 彩夏
バザーのお手伝いをして、ハンセン病に対する見方が変わったように思います。後遺症があるため、試着とか、お金の受け渡しのとき、うまく体を動かせない入所者の方がおられました。自分なりに少しずつでも力になれるようにやっていけばいいのだと思うことができました。
また森元先生が直接ハンセン病の歴史を伝えてくださったので、自分の頭でしっかり考えることができました。福祉や政治などの様々な社会的立場から、二度と差別が起きないように務める義務があると思います。過去は変えられませんが、1人でも多くの快復者の方々に希望を与えられるようになりたいと、心から思いました。

●宮本 真優
IDEAジャパンのお店に来てくださった方の中に、後遺症のある方がいらっしゃったので、近くまで商品を持っていったりして、工夫しました。園内では、入所者同士が楽しそうに会話したり助け合っている様子が見えて、差別されてきた時代の苦しみを乗り越えておられるように感じました。
命を奪われた胎児をまつる「尊厳回復の碑」とか、納骨堂をお参りして、間違った認識がこのような悲しい過去につながってしまったのだと感じました。

●朝比奈 由衣
自分の知識がほんの少ししかなかったと感じました。入所者の方が明るく生活しておられたのが印象深かったです。お店に来られた入所者のご夫婦が冗談混じりに話してくださったので、心が温まりました。森元先生のお話は、授業より衝撃を受けました。人なのに人として扱われなかった事実があったとは、平和な日本で暮らしている自分には実感できません。このような人権侵害の過ちを侵すことのないよう、未来の人々に伝えていくべきだと思いました。

●長谷川 千恵
行く前は、後遺症を持った方々と接することができるか不安でしたが、実際に会ってみたら、普通でした。みんな可愛らしくて、明るかったのが印象的でした。高齢のお客さんでしたが、明るい色合いや、可愛らしいデザインの服に人気があったように思えます。いちばん印象に残ったのは、納骨堂です。最近では故郷の実家のお墓に入れてもらえるようになったということでした。資料館の展示では、世間から隔離され、過酷な状況下であるにもかかわらず、入所者が必死に生きていたことを感じました。当時の日本による過ちを忘れることなく、反省し、世の中に伝えていくことが大切です。

●西垣 佳捺
授業で、ハンセン病の患者さんは隔離され、心の拠り所である家族も離れていってしまったこと、日本という国全体が事実を隠したことなどを知って、大きな衝撃を受けました。ところが、実際に全生園に行ってみて、いちばん印象に残ったのは、つらい体験をした皆さんの笑顔でした。生きながら地獄を味わった方たちが死を選ばず、むしろ強く生きたいという思いに満ちているように見えました。1人でも自分を理解してくれる人がそばにいることが、希望にあふれた姿になるのだと思いました。

●林 里穂
中学の頃からハンセン病について調べてきたつもりでしたが、私にとって関係のない問題だと思い込んでいました。資料館に行って患者さんの生活や苦悩がにじみ出ている写真を見て、困難な状況に置かれても希望を失わずに“生きる”ということを大切にする患者さんたちの姿に心を動かされ、勇気をもらいました。
バザーでは、“共に歩む”ということを実践できたと思います。実際に入所者の皆さんと触れ合って、楽しい時間を共有できて、本当にうれしかったです。この訪問で“隣人愛“というものの原点に立ち返ることができました。

●小亀 恵里加
バザーに参加するまで、私は少し不安でした。でも実際にバザーが始まると、夢中でした。皆さんは、掘り出し物が多い洋服のコーナーでとくに楽しんでいらっしゃいました。車椅子に乗った方が「長袖がほしい」とか、「明るい色がほしい」とおっしゃるので、その条件に合う服を探しているうちに、不安が消えて、自然と笑顔になっていました。
ビックリしたエピソードがあります。ある方が取り出した人形はまるで片足がないように見えました。「私も片足がないの。だから、この子と一緒」と言うので、私はドキッとして何と答えていいのかわかりませんでした。でも「気に入った」と言って買ってくれました。片足がないことを自分のチャームポイントであるように、笑顔で。入所者の方たちはすべてを受け入れて、現状をより楽しく明るく過ごしていらっしゃいました。貴重な人生の財産となるような経験をありがとうございました。

●長谷 安珠
なんとも言えない不思議な気持ちで全生園を訪ねると、豊かな自然が広がっていたことに驚きました。園内はたくさんの人がいて、活気にあふれていました。バザーで、私の祖母ぐらいの年齢の方たちと一緒に洋服を見るのは楽しく新鮮でした。
森元先生の案内で納骨堂に行ったとき、「納骨堂こそ差別の象徴ではないか」というお話は、とても考えさせられました。資料館は元々入所者の有志が作ったのだというお話を聞いて、皆さんの思いの強さを感じました。
とくに印象に残っているのは、舌読、陶芸、囲碁などの娯楽に関することです。私たちより困難であるのに、私たちよりもはるかにそれを楽しんでいる姿に衝撃を受けました。私は自分に与えられた機会をもっと生かすべきだと強く感じました。

●藤原 千尋
皆さんは昔つらい思いをしてこられたのに、挨拶をしたら笑顔を返してくれました。森元先生が「この人は歌が上手で、もし病気にならなかったなら、歌手になっていたかもしれない」と言われたので、日本政府は「人の夢まで奪っていたのだ」と気づかされました。
園内見学で望郷の丘、納骨堂、小さな石碑(尊厳回復の碑)を見て、あらためて日本政府の過ちを感じました。また幼い子どもたちも親から引き離されて収容されていたと知って、辛くなりました。家族との絆、人生の選択肢、入所前の生活、社会との共生が取り戻せるような社会に変わることを願っています。

●米山 真由
私の想像していた場所、環境、人々とは全く違い、素敵な所でした。行く前は、自分がどういう感情を持つのか、怖かったです。でも、園内の方々は笑顔にあふれていて、たくさん声をかけていただきました。バザーでは、皆さんが楽しく買物をしている姿が印象的でした。
森元先生は明るい方で、私たちを「京都の孫」と言ってくださいました。その笑顔にたどり着くまで、とてもつらい思いをされてきたのだと思います。全生園では、子どもたちと園の方々が楽しくお話をしている姿を見掛けましたが、地域に溶け込んでいるように思いました。こういう環境で子どもたちが育つのは、未来につながる良いことだと思います。私は今回の体験を話すことで、少しずつでもハンセン病の理解の輪を広めていきたいです。


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