ニュースレター No.13 (2012年6月20日発行) (1) (2) (3) (4) (5)
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内池慶四郎先生からの手紙

森元美代治様

拝復
森元美代治君、あなたのお名前を突然に知らされたのは数日前に受け取ったゼミ一期生である水藤君からの手紙でした。彼の便りには去る十月二日付けの朝日新聞のコピーが同封されていました。おぼろげなコピー写真からも、三十余年昔の貴君の学生時代の面影が鮮明に蘇りました。心底驚きました。感動しました。
今日三田の教室でゼミナールの授業を終えて家へ戻ってきたら、貴兄からのお便りと御本が着いておりました。最後のゼミ生の授業を終えて帰って来たら、第一期生、最初のゼミ生であった貴君からのお便りと御本に遭遇したことは、不思議な因縁を感じます。
お送りいただいた『証言・日本人の過ち』を一気に読了しました。
世に疎い私には想像もできない世界でした。言葉には尽くせぬ苦痛と悲しみに満ちた重い書物でした。そして何よりも私を驚かせたものは、その事実を淡々と語る貴方と奥さんの不思議なまでの素直な明るさでした。ご郷里の南国の空を思わせる突き抜けた空の青さを感じました。実名で堂々と事実を語られる決意に、俗世間の忌まわしい差別の壁を見事に破り通した貴兄の強い意志に、心から感嘆するばかりです。この境地に達するまで、どれほどの心の苦しみと痛みに耐えられたのか、わずかに想像するばかりです。
貴兄からお送り頂いたお便りと新聞記事またあの希有な一冊の書物は、定年まぢかの老書生に多くの大事なことを教えてくれました。間違った学説がどれほどの悲惨を世にもたらすかということです。そしてそれを正して真理に到達する上で、人間にどれほどの勇気と行動が必要かと言うことです。貴重なお便りに心からお礼申し上げます。
今後のご活躍を期待しています。近いうちにゼミの同窓会にての再会を楽しみにしております。家内よりも宜しくとの伝言を頼まれました。未だお会いしていない貴兄の奥様にも宜しく御伝言下さい。くれぐれもお大事に。

敬具
平成8年11月1日 内池慶四郎



内池慶四郎先生を偲んで A 国賠訴訟における内池鑑定書の功績

理事長 森元美代治

らい予防法が廃止されて2年後、1998年7月に九州の入所者13名が原告となって熊本地裁に「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟(国賠訴訟)」が提訴されました。当時多磨全生園入所者自治会長であった私は原告に加わるかどうか大いに悩みましたし、長兄からは「絶対に原告になるな」と厳しく言われていました。

しかし、拙書『証言・日本人の過ち』の中で国のハンセン病政策を糾弾してカミングアウトした私は、半年ほど考え抜いた末、傍観者たりえないと決意し、1999年3月、東京地裁の第一次原告21名の一人に加わりました。匿名裁判でしたが、私は実名で提訴しました。続いて岡山地裁にも提訴されたのです。

その1年後の真冬のある日、九州弁護団代表の徳田靖之先生から電話があり、「被告・国は、被害者の権利行使すべき除斥期間の20年が経過しており、賠償請求には応じられないと主張している。弁護団ではこれに対抗すべく時効・除斥期間問題の権威を捜していたところ、ある法学誌に載った内池慶四郎氏の論文を発見した。その内池先生が森元さんの恩師であることが分かり驚いている。あなたからも是非、内池先生に時効・除斥期間に関する鑑定書を書いてもらえないか頼んでほしい」とのことでした。私は嬉しいやら驚くやらで早速、内池先生にお願いしたところ先生は快諾してくれました。2000年3月、徳田先生はじめ九州と東京の弁護士、それに私も一緒に内池先生にお会いしたのです。先生は慶応を定年退職後、帝京大学に奉職し、多忙を極めていて夏休みにならないと書けないとのことでした。

ところが、先生は重い責任を感じられたのでしょうか。同年5月1日付けで熊本・東京・岡山の3地裁に「ハンセン病国家賠償請求の期間制限について」という長文の鑑定書を提出されているのです。

民法第七二四条「損害賠償請求権の消滅時効」に「不法行為ニ因ル損害賠償ノ請求権ハ 被害者又ハ其法定代理人ガ 損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリ三年間之ヲ行ハサルトキハ 時効ニ因リテ消滅ス 不法行為ノ時ヨリ二十年ヲ経過シタルトキ亦同シ」とあります。

後段のこの20年を被害者の権利行使できる除斥期間といい、被告・国は「仮に国家賠償請求権が発生していたとしても、この期間経過により権利は消滅している」と主張。一方原告は、「除斥期間の起算点は、加害行為の終了時点、つまり新法が廃止された1996年4月1日以降」と主張しました。

内池鑑定書には「権利者たる被害者が自己の権利を主張・行使することに、重大な法的ならびに事実上の困難が伴っている。ハンセン病患者が漸く認められた自らの権利を主張して社会復帰を果たすことは、過去において法的・制度的に妨げられていたにとどまらず、現在も存在する社会的差別と偏見に自らと家族の身を曝す深刻な苦痛を伴う。この権利行使に際して被害者に要求される困難と苦痛が、本件請求の大きな特質をなす」と、ハンセン病問題に対する深い理解が根底にあります。

鑑定書の重点を挙げると、@除斥期間を権利存続期間の制限と解するならば、権利行使の機会のない権利に存続期間を設けることは何の意味もないことであるし、除斥期間を権利行使の期間制限と解するならば、行使できない権利に権利行使の制限を設けることは背理でしかない。A本件における被害は、長期間の強制隔離による被害者の生活全般にわたる継続的被害であり、時間の経過に従って被害者の高齢化が進み、社会復帰の可能性が失われて行く状況からしても、進行性・累積的被害と見るのが実態に即した見方であり、継続的不法行為の終結とか損害発生の進行停止時あるいは顕在時等を20年期間の起算日とすべきである。B加害者側において、事態の解明を妨げ、被害者側の権利の認識・行使に支障を与えるような積極・消極的態様が認められる場合には、当該の期間経過の責めを負うべきは加害者であって、信義則又は権利濫用の法理を適用して期間経過の利益を否定するべきことは、時効も除斥期間も変わりはない、と述べています。

さらに、「本事案においては、1996年3月の『らい予防法の廃止に関する法律』制定に先立ち、同年1月中に厚生大臣が被害者やその家族に対して『らい予防法』の廃止が遅れたこと等により損害を与えたことを公式に謝罪しており、同法成立に際しては衆参両委員会より遺憾の意の表明とともに被害者の社会復帰や今後の生活安定のため支援策の充実を図る旨の付帯決議がなされている。これが法的責任の承認であるとすれば、あらためて除斥期間の経過を主張する国側の態度は、従来の態度を翻して被害者の信頼を裏切るものとして、信義則違反のそしりを免れないであろう」と明言しています。

そして最後にこう結んでいます。「加害行為と損害の複雑かつ長期にわたる関係においては、従来の期間制度が前提としていた常識的な時間の枠を越えて、本来獲られるべき権利の保護が要求されている。勿論極めて慎重な解釈と運用が必要な事は言うまでもない。医学的知見の進歩と社会通念の進展に基づく本件事案の解決は、まさにその試金石と言えるであろう」。

原告が全面勝訴した熊本判決では、らい予防法の廃止法が施行された1996年4月1日が起算日となっています。内池先生の鑑定書が熊本地裁の判決に大きな影響を与えたことは論を待たず、「本訴訟は、単なる人権侵害ではなく、“人生被害”そのものである」と断じた熊本判決によって、被告・国は控訴を断念せざるを得ませんでした。

わが国裁判史上、この種の判決が第一審で確定した例はなく、これが引いては、日本の植民地時代にわが国の癩予防法(旧法)によって設立された韓国唯一の国立療養所ソロクト(小鹿島)訴訟や台湾「楽生院」訴訟へと発展しました。日・韓・台の原告団、弁護団、市民が団結して闘った結果、ソロクトと楽生院の原告にも補償金請求が認められたのです。この一連の出来事の歴史的・社会的意義は大きく、このことは私のみならず、内池ゼミ生583名の誇りです。

また、先生は2004年、IDEAジャパン設立当初より特別正会員としてご支援くださり、内池ゼミ会長でもあるIDEAジャパンの水藤理事はじめ北裏理事、多くのゼミ生が大きな力となって支えてくれています。偉大な恩師・内池慶四郎先生とのご縁やゼミ生との熱い友情の絆によって、私は人生を生き直すことができたと思っています。内池ゼミの名を汚さぬよう精進してまいります。

内池先生、ほんとうにありがとうございました。安らかにお眠りください。

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