ニュースレター No.3 (2007年2月発行) (1)(2)(3)(4)(5)(6)
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「ハンセン病」の不思議なちから

西尾 雄志

中国でハンセン病問題に取り組むNGO「家(中国語の発音でジャー)」の代表を務める原田僚太郎さん(28歳)が、10月から11月にかけて活動報告のため、日本に一時帰国しました。昨年、星塚敬愛園を退所し、中国で原田さんと活動をともにしている小牧義美さん(76歳)も一緒でした。彼らふたりとその周りを取り囲むひとびとをみていると、「ハンセン病」のもつ不思議な力を感じてしまいます。
彼らが行なっている活動は、中国のハンセン病隔離村に1〜3週間程度住み込み、道路舗装やトイレ建設などを行う労働奉仕活動――ワークキャンプです。2001年に中国のハンセン病村で、初めてワークキャンプが開催されてから、今日まで中国、日本、韓国の若者をはじめとする、のべ1200名もの人々がこの活動に参加したそうです。
なかにはこんな学生もいました。有名企業から内定をもらい、卒業単位も取得し、あとは卒業するだけの身になって、残りの学生生活を有意義に送るため、卒業前の半年間、中国に留学しました。しかし中国留学中、「家」の活動に没頭してしまい、とうとうこの活動を続けたいばかりに就職するのをやめ、日本語教師をしながら中国にとどまり続けることにしたそうです。両親の気持ちを考えると心が痛みます。
中国のハンセン病村に、1200名もの若者をよびよせる「ハンセン病」の不思議なちからとは、いったいなんなのでしょう。将来の人生にまで影響を与える「ハンセン病」の不思議なちからとは、いったいなんなのでしょう。
ハンセン病とはかつて「別れ」の象徴でした。家族との別れ、愛する人との別れ、ふるさととの別れ・・・。それがいま、「出会い」や「つながり」の象徴のようにまでなっているのはなぜなのでしょうか? 詩人の大江満雄は、「ハンセン病がアジアをつなぐ」といったようなアイデアを提唱したといわれます。この詩人の直感に、ただ感嘆するばかりです。

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