ニュースレター No.17 (2014年02月25日発行)
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ハンセン病患者迫害の傷跡を世界遺産に

栗田 路子 (通訳・コーディネーター)

ベルギーの首都ブリュッセルで9月16日からの5日間、国際ハンセン病学会と、患者・快復者・支援者の国際ネットワークIDEAの総会が開催された。1897年、第一回がベルリンで開催されてから18回を数える。

先進諸国の新規患者がほぼゼロとなり、日本の医学部では解決済みの病としてほとんど教えないというハンセン病の学会に、なぜ、世界中から1000人もが集まるのか。「Hidden Challenges」(隠された戦い)と副題のついたこの学会が今なお注目される意味を、自らもハンセン病快復者で、IDEAジャパンの創設者である森元美代治(もりもと・みよじ)・美恵子ご夫妻と語りながら探った。


▲IDEAの総会で手作りの旗を掲げる森元美代治・美恵子夫妻

ハンセン病は、1940年代に特効薬が開発され始めて以来、感染力が弱く、遺伝せず、早期発見・多剤併用治療などによって後遺症もなく治せる病であることが広く知られるようになってきた。にもかかわらず、世界中の多くの社会で、他の慢性伝染病(結核など)と比べ格段にひどい差別と迫害の対象となってきた。

理由のひとつは、目や顔、手足など、外から見てわかる部位に、目を背けたくなるような痛々しい紅班や瘤、変形や機能障害が現れるからではないだろうか。このために、医学的に解明される以前には、どこの社会でも、先祖の祟り、汚らわしい病というような言われのない忌避が生まれやすかったのだろう。

今日でも、栄養・衛生状態の芳しくないアジア、南米、アフリカ諸国(特に、インド、ブラジル、インドネシアなど)を中心に世界で23万人強(2012年WHO)の新規患者が存在し、「恥ずべき病」との観念も残る。国際らい学会は、伝染病学から心理学に到る広い専門分野を包括し、人類の英知を結集して、病気根絶と差別の撤廃に地道な戦いを続けている。

『隠された戦い』はもうひとつある。先進国の多くでは、元患者の一部が重度の障害を持つまま高齢化している。日本は、世界中から激しい批判を浴びながらも、患者の強制隔離政策を96年まで続けてきた。隔離は、明治末期にできた浮浪患者取り締りに端を発し、戦中は民族浄化・選民思想に則って強化され、国際医学界で隔離不要コンセンサスができた戦後も、厳しい強制隔離政策が医学界の利権と絡んで長年放置されてきた。

あまり知られていないが、全国には今なお13の国立ハンセン病療養所があり、約2000人がここで生活する。その平均年齢は80歳を超えた。まともな教育も技能もなく、失明や手足の神経麻痺など重い後遺症を持ち、親族から絶縁され長年孤独な生活の中で老後を迎えている人々である。

「せめて、予防法が(他の先進諸国同様)50年代に廃止になっていれば、私たちには別の人生があったと思うと無念でなりません」。そう語る森元美代治氏は今年75歳。1952年、わずか14歳で家族から引き離されて療養所に入れられた。一時病状が好転し、隠れて大学へ通った時期もあったが、再び悪化して療養所生活へ。病は40年前に全快し、現在は二度目の社会復帰を果たしている。

我々生き証人がいなくなってしまったら、病気を理由とした偏見と迫害の歴史が、地球上からかき消されてしまう——危機感を持った患者・快復者とその家族が、世界各地から立ち上がった。「われわれの目に見えない思いを、世界中にある隔離施設群とともに、人類の文化遺産として残すことができるって言われたんですよ」と森元氏。昨年5月、ニューヨークで行われたIDEA総会でのことだ。

『ユネスコの世界文化遺産』に申請するための候補施設のノミネートが始まった。そして今年9月16日、経過報告を行うために、ここブリュッセルに、北米やヨーロッパのほか、ウガンダ、コンゴ、ナイジェリア、ネパール、インドネシア、韓国、台湾、ブラジルなど世界中からIDEAメンバーが集まった。世界中から集まったIDEAのメンバー、「世界遺産運動家」を自称するディードル・プリンスさん(南ア)もその仲間だ

世界遺産申請に詳しい専門家のディードル・プリンスさん(南ア)は、「申請には、専門的で綿密な作業が必要。国家が協力し、保存のための法を整えるのも必須条件。私達は、言ってみれば『世界遺産運動家』。2016年2月申請を目指します。」と明るい。

日本が保存地として候補に上げるのは、長島愛生園(岡山県)と栗生楽泉園(群馬県)。前者は、終生絶対隔離の象徴として作られた「島」であり、後者には、日本のアウシュビッツと呼ばれた監禁室が備えられていて、多くの患者がここで凍死・餓死に至ったという。候補にあがっている韓国の「小鹿島」や台湾の「楽生院」も、日本が植民地時代に隔離を強制したところだ。

森元氏は語る。「20世紀の人類が、この病気にここまで誤解や偏見を抱いたのは、医学界と宗教界の過ちなんですよ。医学界は、らい病は遺伝病だとか、ペストやコレラみたいに恐ろしい伝染病だとか、ありもしないことを吹聴して恐怖を煽り立て、政府と結託して、隔離したり、断種したり、結婚も認めなかった。宗教界はハンセン病を『仏罪』とか『天刑病』なんて呼んで、本人か先祖のせいにした。冗談じゃない、罪でも罰でもない、ばい菌、バクテリアのせいですよ。ハンセン病の歴史を勉強すると、誤解や偏見がどうして起きるのかが見えてくる。また、人権や差別問題だけじゃなくて、生きることの意味が見えてくるんですよ。偉い人が言うからとか、噂とか世間体じゃなくて、一人一人が、科学の目を育てて、判断力を養うことが、同じ過ちを防ぐ唯一の方法なんですよ」 本来なら、国や医学や宗教によって、最善の治療と救済を保障されるべきだった弱き患者達は、復興し、経済発展する日本のイメージには相応しくないと切り捨てられ、不可視化されて行ったのだ。大衆が為政者の思いのままに踊らされ、社会的弱者を意識の外に押しやっていく構図は、エイズでも、フクシマ被爆でも繰り返されているのではないかと、森元夫妻は強い危機感を持つ。偽名を捨て、900回以上に及ぶ講演や世界遺産化に情熱を燃やすのは、この負の遺産を後世に活かすための生き様を選んだからだ。

会議の開催国ベルギーは、ハワイ・モロカイ島でハンセン病患者のために尽力したダミアン神父(2009年に聖人とされた)を生んだ国だ。そのため、子どもから老人まで、ハンセン病への認知や共感度が高い。世界遺産申請リストは、モロカイ島カラウパパ療養所から始まる。ダミアン神父の霊廟で、森元夫妻も、IDEAの仲間とともに、世界遺産化することの意義をかみ締めた。

栗田路子(くりた・みちこ)
EUの首都ブリュッセルを擁するベルギー在住。上智大学卒業後、外資系広告代理店勤務を経て、米・コーネル大学およびベルギー・ルーヴァンカトリック大学にて1992年MBA取得以来、ベルギー在住。ベルギービールの日本向け輸出の先駆者。コンサルタント、通訳・翻訳、TVや雑誌のリサーチ・コーディネートなどの仕事を通して培ってきた知識や経験、ネットワークにもとづき執筆活動をしている。神奈川県出身。


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