ニュースレター No.10 (2011年02月20日発行) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
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分科会 7 「マスメディアの役割」
プレゼンター:
  • Y.H.ギル( ハンギョレ新聞記者)
  • パメラ・パラピアノ(写真家、IDEA USA)
  • ジョナサン・ロイド・オーエン(日本財団)
  • 八重樫信之(写真家、IDEAジャパン)
  • 村上絢子(フリーライター、IDEAジャパン)
  • Y.J.ユン(ピュンテク大学教授)

一緒に歩いて行きましょう!
村上 絢子 (フリーライター、IDEAジャパン理事)
photo by Sigurd Sandmo (IDEA ノルウェー)

まず最初に、ジャーナリストの役割は、現場に行くこと、自分の目で見て、当事者の話を聞いて、書き、伝えることだと考えています。以下、私のこれまでの関わり方と、フリーライターとしての仕事についてお話しします。

私が最初にハンセン病問題に関わったのは1996年でした。森元美代治・美恵子さん夫妻がどのようにこの病気と闘ってきたか、どのように生きてきたかについて、闘病記録を出版するのを手伝ったのがそのきっかけです。私はハンセン病は過去の病気だと思っていましたから、わが家の近くにハンセン病療養所があり、そこにまだ約500人もの人びとが住んでいると知って、大変驚きました。

1997年、ニューヨークの国連本部で開催されたハンセン病の国際集会「尊厳の確立展」に参加したとき、「あなたは何をしているの?」と何度も聞かれたことから、私には何ができるのか、何をすべきかを考えました。そしてこの病気に罹った人たち一人ひとりにインタビューして、それぞれの人生の聞き取りを始めたのです。この作業をするなかで、プロのカメラマンの夫・八重樫信之が写真を撮り、私がインタビューをして記事を書き、二人一組のチームとして仕事をしてきました。

ハンセン病国賠訴訟が始まると同時に、全国の国立療養所を訪ねて、原告の方たちと話をし、皆さんの人生についての証言を集めました。当初、たった13人だけで提訴したのですが、原告のだれもが「国にひと言、言わなければ、死んでも死に切れない」と私に訴えました。こんなに高齢の人たちが孤立無援で闘っている姿を見て、私は彼らが何を言いたいのか、この裁判の意味はなにかについて書こうと決心しました。そしてこの問題について、週刊誌や月刊誌などに発表し始めたのです。

さらに私は、ハンセン病問題について、多くの人びとが学び、理解してほしいと考え、ハンセン病の歴史と証言をまとめた単行本を出版しました。題名は『証言・ハンセン病 もう、うつむかない』です。そのタイトルは、かつて病気ゆえに社会から排斥された人たちが、顔を上げ、尊厳を持って生きて行こうと決意したことを意味しています。最後の章を「家族よ」とした理由は、家族の絆について解決すべき多くの問題が、まだ残されていると感じているからです。

2009年、ハンセン病市民学会の家族部会は、シンポジウムを企画しました。各国に共通する家族問題を一緒に話し合って、解決するために、ハワイ、韓国、台湾からハンセン病の家族を招請しました。そのシンポジウムが終わってすぐ、その記録を世界中の家族と関係者に読んでいただくために、日本語、英語、韓国語、中国語に翻訳して、ブックレットとして出版する企画を立て、編集を始めました。多くの皆さんのご支援とご尽力のおかげで、IDEAジャパンから出版することができました。私は、それが偏見・差別を克服し、家族が一歩踏み出すきっかけになることを望んでいます。

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